退職そして起業 〜SerendipityとCommunity〜

エッセイ

最初の投稿でいきなりの報告ですが、16年間勤めた会社を辞めて自分で会社を設立し、その第1弾事業としてお店(実店舗)を出すことにしました。場所は京都・四条。

以下その開業に至った経緯や想いを綴ってみたいと思います。

起業に至るまでの心のキビ

16年間、会社員として過ごしてきた。時間が積み重なるうちに、ふとした瞬間に、なんとなく「このままでいいのだろうか」と不安に駆られることが増えてきた。その不安の正体をもう少し言葉にすると、会社員としての先が見えてしまったという感覚だろうか。


このままここにいることが、本当に自分が望んでいることなのか、はっきりしなくなってきた。たとえ転職しても、どこに行っても、上司や年上の同僚たちと同じように、ただ惰性で時間を重ねていくだけなのではないか(少なくとも自分にはそのように見えていた)、という気がしてきた。それは、まるで毎日が同じ繰り返しで、今日と明日の区切りも薄れていき、何も変わらないかのような空虚さを感じさせるものだった。
どこかで生きているのか死んでいるのかも分からないような時間の流れに流されていた。私には、その流れに飲み込まれていくことが、どうしても耐えられなかった。こんなふうに自分もなってしまうのだろうか。このままでは茹でガエル状態で自分が面白くない道へ進んでいっていることも気づかぬまま、ただただ年をとって死んでいくのではないか、、、そうなる前に何かを変えなければならない。そう感じるようになった。

その想いが積み重なり、それがやがて沸々と湧いてくる。一度きりの人生それでいいのか?

このままではいかんと。

そう思い始めたらもはや会社を辞めるという選択肢しかなかった。そもそも人から指示されたり命令されたりするのが苦手かつストレスであって、給料をもらっていたから何とかそれに耐えていた、というのが本音のところ。昔就活生の時、とある大企業の面接で言われたことがある。「君がこの会社に入るということは君も会社の歯車として働くということだよ」と。その時はなんたる社畜人間!と憤りを覚えたが今となってはそれも理解できる自分もいる。会社に属するということは、その組織の一部になるということなのだ。もう少し叙情的に花で例えるなら、ここで咲きなさいと言われればそこで咲く。言われてそれ以上にキレイに咲くこともできる。ただ咲く場所は選べない。そんなところだろうか。

自分の頭で考え、自分で正しいと思ったことを、誰にも縛られずに、自らの責任で自由にやっていきたい。

そう思ったら私の場合は自分で起業することしか考えられなくなっていた。

起業へのカットウ

とは言っても家族(子ども3人)もいるので相当悩んだことも事実だ。不安もあった。前向きに考えようとしても頭に浮かぶことは「やらない理由」「やれない理由」

子どもがいる以上は“自己犠牲”のもと会社員という安定した環境にしがみつくのが合理的ではないか?

会社員を辞めて起業して食っていけるのか?家族もろとも路頭に迷うのではないか?

「自分の人生を生きる」と言っても子どもがいる以上、もはや自分だけの人生ではないのではないか、、、などなど。

こんなことがグルグル頭の中をひたすら駆け巡る。

一方でこんなことも考える。

そもそも今の時代大企業がはたまた会社員が安定しているなんて保証もないんじゃないか?

起業して失敗しても日本はセーフティーネットがしっかりしているし死ぬことはないよな?

「自分の人生を生きる」ことは、単に自己中心的に行動することとは異なるのではないか?自分が何を大切にして、どんな人生を歩みたいかを自覚し、それに沿った選択をすることが重要でありそれが周りに良い影響、つまり親が自分の人生を楽しみ、充実している姿を見せることは、子どもにとっても健全で強力な手本になるのではないか、、、などなど。こんな考えが行ったり来たりする。

そんな堂々巡りを繰り返す中で後者の考えが勝るわけだが、決め手は不安の捉え方である。

そもそも不安というのは、いつだって頭の中でこしらえた影のようなもので、掴もうとするとふわりと形を変え、それでもって消えもしない。つまりは本当に対峙すべきは、目の前に現れた「危険」だけであって、ひたすらに「今、ここ」に集中していれば、その影はいつの間にか遠くへ去っていく。それだけのこと。そう考えて私は不安とは対峙しないことにした。

そう考えることができれば、あとは前へひたすら進むだけだ。

実店舗へのオモイ

今、ここまでインターネットが発展しネットショッピングが当たり前の世の中となる中で、実店舗を持つことをリスクと考えるのが一般的だろう。でも、私はあえて逆を目指したいと思っている。

eコマースが普及し、身の回りのものが簡単に手に入る便利な時代になった。一方で、ショッピングそのもののワクワク感が薄れてきたように感じている。Amazonや楽天、Yahoo!ショッピングでは、購買履歴や閲覧履歴をもとにオススメ商品が表示され、消費者の購買意欲を刺激する。でも、それには「偏り」がある。結局、ユーザーは自分の好みに近いものしか選べなくなり、選択肢が狭まってしまう。音楽のサブスク、例えばSpotifyなんかも、似たような現象が起きている。

アルゴリズムから導き出されるリコメンドではなく、リアルな世界での偶然の発見(所謂serendipity)が欠けている。その偶然を提供できる場所を作りたい。オンラインショッピングでは味わえない、新しい発見を実際に体験できる場所が必要だと感じたのだ。

だからこそ、私はその偶然の出会いを提供できるような店舗を作りたいと思っている。オンラインでは得られない、実際に足を運んでみることで感じる喜びを、再び感じてもらえる場所にしたいと考えている。

実店舗にこだわるワケ

それ以外にも重要視しているのが実店舗から生じるコミュニティーだ。

実店舗で生まれるコミュニティーは、どこか無意識のうちに形作られるものだ。それは、言葉にするにはあまりにも繊細で、時に意図せずに交わされる視線や微笑みの中にひっそりと存在している。店に足を踏み入れるたびに、どこかでその場所が呼吸をしているのを感じる。商品を手に取るその瞬間、隣にいる誰かと目が合い、軽く会釈を交わす。まるで何か共有したことがあるかのような、見知らぬ人との一瞬の繋がりが、そこには確かにある。

そして、常連客たちの顔が自然に集まり、ふとした会話が交わされる。その会話は決して特別ではない。天気の話だったり、少し面白い出来事のシェアだったり。でも、そんな何気ないやりとりが、実はそのコミュニティーの根幹を作っている。何か深い絆がなくても、互いに顔を合わせることで、無言のうちに「そこにいること=be there」の大切さを感じ取ることができる。

それは、単に物を買うという行為を超えたものだ。オンラインでは決して得られない、その場所に集う人々の間に流れる空気、共に時間を過ごす中で育まれるつながり。実店舗が提供するのは、ただのショッピングの場ではなく、そこに集まる人々が少しずつでもお互いに触れ合い、心地よい場所を作り出すための小さなチャンスなのだ。

次回は店舗情報についてもう少し掘り下げます。内装や取り扱う商品についても触れたい。

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